岩手旅行(宮城含む)パート3です。今回は見た順番が一部前後します。
三陸海岸 続き
巨釜(おおがま) 折石(おれいし)
広めの駐車場があります。海岸まで階段を下っていきます。
折石。高さ16m、幅3mの大理石の石柱で、1896年の三陸大津波で先端約2mが折れてしまったことからこのように呼ばれるようになりました。ということは、津波は高さ20mくらいはあったのでしょうね。
これが巨釜かな?ここだけ崖がえぐれたようになって海水が入り込んでいます。確かに大きな釜のように見えます。
神割崎(かみわりざき)
南三陸町と石巻市の境にある景勝地。広い駐車場があります。海岸まで階段を下りていきます。この日は雨で泥道になっていたので、長靴などがいいかもしれません。
二つに割れた奇岩の間から波が押し寄せてきます。横からも波が来るので複雑に干渉し、面白くてずっと見ていられました。時々、足元ギリギリまで波が来るので階段の一番下までは降りない方がいいでしょう。狭い所を通ってくるので波が目線より高く迫ってきて、とても迫力があります。スリルを感じます。
神割崎には面白い伝説があります。昔、この辺りは二つの村の間でしたが境界がはっきりしてませんでした。ある時、クジラが打ち上げられ二つの村の間で取り合いになってしまいました。すると、ある夜、岬とクジラが真っ二つに割られていました。神様が争いの仲裁をしたのだろうということでここが村の境となり、今日、南三陸町と石巻市の境界となっています。
またここは、2月中旬と10月下旬頃に岩の間から登る日の出を見られるそうです。
震災遺構
奇跡の一本松&ユースホステル/東日本大震災津波伝承館
前記事の道の駅 高田松原で車中泊後の朝です。
夜はよく見えませんでしたが、一本松の近くには「旧 陸前高田ユースホステル」があります。
津波で地盤がえぐられ建物が折れ曲がっています。震災当時、休館中だったため被害にあった人はいなかったそうです。この建物があったおかげで波が弱まり、一本松が生き残ったのではないかとされています。
新たな松原。未来への防災です。
道の駅の中には「東日本大震災津波伝承館」があります。入館料は無料。
中では展示物のほかに津波や災害後の映像も見ることができます。
津波により曲がった橋の一部。
破壊された消防団の車両。想像を絶する津波の威力です。
ここでは地震や津波の特徴、被災者や救助にあたった人たちのエピソードなど多くの情報を得ることができました。
気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館
施設の出入口付近に被災した国土交通省の車両がありました。丈夫そうな重機でさえこのような有様です。
ここは「旧 気仙沼向洋高等学校」です。後でこの建物内を歩いて見ることになります。
駐車場は無料で広いです。入館料は600円。旧校舎以外は撮影禁止でした。最初に被災時の映像を見ることになります。その後旧校舎内に入っていきます。
1階部分。やはり、滅茶苦茶です。
ここは地上約8mの3階。信じられないことに、こんな高さに津波で運ばれた車があります。どれほど津波が高く、恐ろしいかわかります。
ここは地上約12mの4階。このレターケースの下部の錆が目立ちますが、ここまで津波が到達したということです。4階ですらまだ危険だったなんて…。
校舎の外に出ました。4階部分の壁面がえぐれて鉄骨がむき出しになっています。ここはレターケースがあった部屋の壁ですが、なんと工場が流れてきてぶつかった痕跡とのことです。想像できません…。
折り重なった車。写真だと何が何だか分かりにくいですが、複数の車両や船の残骸などが重なっています。ここは建物と建物の間で引き波の通り道となり、流されてきた車が引っ掛かったということです。
ここは海に近く10mを超す津波に襲われながらも、迅速な避難行動で誰一人犠牲にならなかったとのことです。屋上も見ましたが机が置かれていて、「少しでも高い所へ」という意識で机に乗っていたようです。そういった防災意識を身に付けないといけないですね。
石巻市 震災遺構 大川小学校
北上川のすぐ近くの「旧 大川小学校」。海からは3.7㎞内陸ですが川を遡上した津波が押し寄せ、多くの児童や教員が亡くなりました。
ここでは外側から校舎と大川震災伝承館内の展示を無料で見ることができます。校舎内は入れません。駐車場は道路を挟んで反対側にあり、広いです。
校舎は円形状、曲線状になっており独特な造りです。教室に入るとどんな感じだったのか気になります。
柱を残して壁はなくなっています。
体育館への連絡通路。柱が折れ、ねじ曲がっています。
体育館。ほとんど何も残っていません。
展示パネルを見ると、津波で川の近くが水没したことがわかります。また、手前の橋も落ちています。
校舎の中に残されていた時計。15時37分で止まっており、津波が到達した時間がわかります。
震災で被害にあわなかった人や後世の人たちは、なかなかその実態を想像できませんが、こうした遺構や記録、語り部から教訓を学び、自分と大切な人たちの命を守るために活かしていかなければいけません。
終わりに
栗駒山から始まって2泊3日、疲れましたが多くのスポットを巡ることができました。運転総距離は800㎞以上、食事もまともにとれませんでしたが、気になった箇所はほとんど周ることができて満足です。
筆者は3.11地震発生時、震源域の海上におり、無事内陸へ避難できましたが、その後の被災地がずっと気になっていたため、今回一部を知ることができました。
自然も楽しむことができました。東北は全県行ったことはありますが、まだまだ気になるところはたくさんあります。是非、また行きたいです。
それでは!!
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